姫君の憂鬱、侍従の心配
灼熱の太陽が地平線に沈み、ひんやりとした夜風がギルカタールを満たす時刻。 「・・・・はぁ」 王宮のバルコニーの一つで、深いため息をつく少女が一人。 月明かりに照らされた夜闇の色の髪と、藍色の瞳を持つギルカタール王の娘アイリーンはぼんやりとバルコニーの欄干に頬杖を付いて空を眺めていた。 「ご主人様。」 聞き慣れた声に呼ばれて、アイリーンはゆっくりと振り返った。 そこにはアイリーンの護衛官であり、姉のように慕っているチェイカが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。 「チェイカ。どうしたの?何かあった?」 「それはこちらの台詞だと思いますわ。ご主人様が酷く憂えた様子でバルコニーにいる、と衛兵が慌てて私の所に来たんですよ?」 その言葉にアイリーンは苦笑した。 「飛び降りるとでも思ったのかしら。」 「そこまで思ったかどうかはわかりませんけれど、様子がおかしいと慌てていましたね。」 くすりと笑うチェイカにアイリーンはますます顔をしかめる。 (まあ、そう思われても無理ないかもしれないけど。) アイリーンの人となりをよく知っている人間ならアイリーンがそんな事をするはずもないとあっさり笑い飛ばすのだろうけれど、衛兵ほどの身分では聞きかじりの話だけでそう判断されるのもしかたないのかもしれない。 なにせアイリーンは現在、意に染まぬ結婚を突きつけられてそれを回避するためにほとんど勝機のない賭しているという悲劇の姫君なのだから。 もちろん、アイリーンはそんな事で飛び降りようと思ってバルコニーに出ていたわけでもため息をついていたわけでもない。 (でも・・・・) と、アイリーンは再びため息をひとつ付いた。 「死のうなんてこれっぽっちも思ってなかったけど、思い詰めてたのは確かかもね。」 「ご主人様?」 「・・・・ねえ、チェイカ。」 囁くように呼びかけて、アイリーンは眼下に広がるギルカタール王都の夜景に目を落とした。 お日様の下では威張れないような職に就いているものが少なくないギルカタールの夜は華やかだ。 カジノ街を筆頭に街中が星を散りばめたようにキラキラと光り輝いている。 この光の下では様々なことが行われ、様々な人が生きている ―― そう (『あいつ』も・・・・) 面影が脳裏を掠めた途端、胸がきゅうっと悲鳴を上げる。 今日の昼間もモンスター退治に付き合わせて会っていたのに。 別れてからまだ少ししかたっていないのに。 (・・・・会いたい、なんてどうかしてる。) 唇を噛んでアイリーンは睨み付けるように目を細めた。 「私は『普通の人』と結婚したいの。」 まるで何かに抗うようにそう呟いたアイリーンの横顔をチェイカは無言で見つめた。 まだ本当の子どもだった頃から仕えていた主人の顔を。 部下として、時には姉のような気分でいつも見ていたその横顔だからこそ、チェイカにはわかる。 今のアイリーンが何に抗おうとし、そしてそれが・・・・どれほど無意味なことかも。 「・・・・ご主人様。」 「ん?」 「私もあまり偉そうな事は言えないんですけど。」 そう前置きしてチェイカはアイリーンの隣に並んだ。 欄干に頬杖を付いていたアイリーンが見上げてくる。 その視線を捉えてチェイカは言った。 「『普通』ってなんでしょうか。」 「え?」 「普通の仕事をしていて、普通の感性を持っていて、どこからどう見ても『普通の人』でも・・・・恋をしたら『特別』になってしまうんじゃないでしょうか。」 「・・・・・・・・・・・・・」 「例えばギルカタールではなくて、ご主人様の言う『普通』の人たちが暮らしている国で、『普通』に出逢って『普通』に結婚した『普通』の夫婦だって、他から見てどんなにその二人が『普通』でも、お互いにとってはやっぱり『特別』な人なんですよ。だって」 「恋はいつだって『特別』でしょ?」 「・・・・至言だわ。」 呆気にとられたようにアイリーンは呟いた。 そんなアイリーンの様子にチェイカは照れ隠し半分に苦笑する。 「まあ、そうは言っても候補者の皆様は確かに『普通』の人じゃ絶対にあり得ませんけどね。」 「あ〜、うん、まあ。」 曖昧な返事をしてアイリーンも苦笑する。 「でも、そっか・・・・そうよね、『特別』か。」 ころんっとその言葉を口の中で転がしてみると、結構悪くなくて。 アイリーンは欄干から立ち上がる。 (少しだけ・・・・スッキリしたかも。) 『普通』の人と『普通』の結婚を ―― そうこだわり続けて、そのせいで心に生まれた矛盾が少しだけ小さくなっているような気がしてアイリーンは笑った。 「チェイカ、ありがと。」 「いいえ。さ、ご主人様。そろそろお休みになって下さい。明日もモンスター狩りに行かれるのでしょう?」 「・・・・狩りって。まあ、そうなんだけど。」 「じゃあ、寝不足は大敵ですわ。」 「そうね。結局、賭けにはどうしたって勝たないわけにはいかないんだし。」 そういうとアイリーンは大きく伸びをした。 「うん、明日も頑張れそう。ありがと、チェイカ。おやすみ。」 「はい。お休みなさいませ。」 大分明るくなった顔でアイリーンがそう言ってバルコニーから部屋の中へと入っていくのをチェイカは穏やかな顔で見送る。 ―― そして、アイリーンの姿がバルコニーから完全に消えた後。 「・・・・・・・・・・・・・まあ、あの候補者の誰に恋をしても、『特別』というか『特殊』な恋になってしまいそうなんですけどね・・・・・・・・・・」 チェイカが呟いた言葉は夜風に乗って、ギルカタールの街の上へと消えたのだった。 〜 END 〜 |